久し振りのコバルトインは名を馳せた跡諸共、立地以外全てが変わり果てた姿で佇んでいた。
致し方無い理由は分かっている。
サンビーチホテルの諸問題の煽りを受け、放置されざるを得ない期間が長くあった。偶に報道の片隅に報じられる事はあったが。
人間って身勝手だ、その頃の私は自分の仕事の事しか考えておらず、便りは便りとしてしか捉えられていなかった。手一杯と言えば聞こえはいいが、興味と時間を裂けていなかった。
大規模開発の失敗。倒産。デベロッパー、金融機関、煽りをかける債権者。責任の行方。 全て人事としてしか受け取っていなかった。
思えば新卒で少しだけ勤務した会社、その後長くいた会社、共に倒産廃業している。
最初はバブル後の総合商社の淘汰時、次は不動産系親会社債務の産業再生機構入り。学生時代の海運不況に始まり、時代の流れの濁流表面で揉まれる枯葉のようで、これら出来事は己の人生其の物だ。
持っているね、倒産運。
築おおよそ50年。 ずっと稼働していたらマシだっただろうが、ブランクを経たコバルトインは現所有者の手に堕ちて15年とは思えない程の再生過程の廃屋状態だ。ひょっとして朽ちる途上か。
1階のロビー、食堂跡は私物と漫画が溢れ、フロントデスクにはいつの物か分からない牛乳パックとスポーツ紙。
上履きスリッパに履き替えるのに躊躇するような傷んで不揃いのゴムサンダル。
広く神聖でシェフの聖域であった厨房も大家庭のソレと区別がつかない。
3階の客室は想像を絶した。
床は塩化ビニールが波打ち、和室小上りのたたみ、板張壁部分、窓枠の天然木部分は全て剥げ落ち。
海を望む窓は汚れ、厚いガラスにもヒビ、カーテンからは耐えられないカビ臭さ。
手が入っていない。手を掛けていない現れだ。私物、使いさしの歯磨き粉が残る洗面からは、何故かバスタブだけは無くなっており、沖縄風シャワーバスになっていた。
小上りにはとても上がり座る勇気が出ない程のカビがあり、換気しても喚気しても臭いが消えず、窓を開けた時にどこからか洗濯バサミが割れ跳んで落ちた。
これがコバルトインの現状。
変わっていないのは部屋番号と部屋名のみ。
この後、約束のあった私はショック状態ながらも窓を開け放ち、荷を解いたがそのまま1階のフロント風リビングルームへ降り、朝食と明日からの宿泊を丁重にキャンセルした。
借りる算段を付けてあったレンタルバイクも自賠責保険に入っておらず、思わず自分の旅行保険の適応範囲を確かめた。
とてもお金を取って泊めたり貸したり出来る物では無い。改修にお金と時間が掛かるのはわかるが、其れ以前の日常の手入れが問題だ。看板を挙げてシーズンには客を取る事に慄いた。
急いでいたが近所の普通のレンタルバイク屋さんで普通の原付を借り受け、イーフビーチへ走った。
何年ぶりかであり、疾病後初の2輪車では迷惑な程スローな走りで、老人の乗る歩行補助車の様相で走り、大名行列の先陣如く迷惑を掛けたが、会いに行く人、目的が30年前の車の事故に所以しているので、こんな所で事故は避けたかった。
30年前、イーフビーチ近くで働く人と飲みに行く為、イーフに住む観光船の船長に車を借りた。楽しく過ごした私達は夏も終わりが近づき、開放感から気が緩んでいた。
少し飲み過ぎていた私は、帰りの運転を飲んでいない彼女に代わってもらい、助手席で横になっていた。
衝撃とガラスが割れる音で目が覚め、事故を認識してもまだ幾分か酔っていた。 ぶつけた相手も漁港で何度か飲んだ方で、彼女も相互に言い分があり、悪いのはどちらか言えなかったが、事実として凹んだ車と割れたヘッドライトがあった。
現場の近くに船長の家があったので、事故相手には詫びて船長に報告に行った。
深夜だったが携帯の無かった当時、当たり前の事後策であった。
飲んでいた船長は事後の事は引き受けてくれ、早く返らそうと安請け負いしてくれた。
ただ事実として彼女は同い歳の19歳でアルバイトの身の上、車を借り出したのは私で、安易に運転を代わって貰ったのも私。
交差点でも無い道で急にウインカー無く右折したのは相手だが後続からウインカーを出して右側を追い抜こうとしたのは彼女だった。田舎の広い道での出来事で後日船長も苦慮したのか解決したとだけ言っていたが、その時の修理代8万円掛かったと人づてに聴いたのは数年経ってからだ。
事故の後、何度も職場で顔を合わせた船長は何も言わず、補修の責も取らずに私は久米島を後にした。あれから30年。詫びるには遅過ぎるが、せめて己の喉にささくれて残る未熟な処置を気掛かりから思い出話に変える為に走った。
30年を超えるスローなスピードで儀間大道の80R急カーブを超えた。