列島は雨が多いらしい。今年の梅雨は厳しく長かった沖縄。
今朝は見事な曇天 近い上に 羊の群れ雲
朝露跡は感じない、水遣り。
西花壇には細い葉の雑草が増えて来た。庭に生えていればそのままグランドカバーにするが、花壇畑は抜かないと。これもケイトウ同様に根が強く細長く奥まで伸びている。結構厄介。
ブランチは鶏手羽元とごぼう、モーウィ(瓜)、南京、人参、牛蒡、チャンプルカレー。スパイス煮 でいいのだが、入手できるスパイスはカレーが安価で容易。暑いがカレーに。飲薬。
アート作品は専らFacebookとTwitterの知り合い画像で鑑賞。実際見に行っても写真を撮って満足してしまうだろう。ネットで野球中継の花火ナイトを観ても皆スマホを通して観ている光景に自らを重ねて思い出した。
南庭東側のバナナもパワーの蓄え時か8月と台風のみ心配。マンゴーも収穫時が見えない。
鶏手羽元煮込とそこから派生のカレーを足して乾麺カレーうどん。カレー尽くしか。
羊雲のままサンセット でも真夏日。
洗濯物も風乾燥か、カラカラだ。
今日は宵々山らしい。そんな季節らしい天気の荒れ方だ。前の勤務では四条の駅から丸太町まで歩いて通勤していたので朝晩共に祭りは身近だった。車はこの時期規制が多く、注意が必要で得意先の往復のみ使った。困る事は聴衆と山車で歩き難い事。でも何本か横の筋に入れば避けられる。雰囲気を楽しみながら歩いた。
宵々、宵山、当日もはそれ位だ、鱧を食し祇園を遊んだのは20代、かなり昔だ。40代からは街を歩き、古物屋を冷やかし、都蕎麦や讃岐形式のうどんスタンドで腹を満たした。やっている事はマルタのバレッタ、ヘルシンキ、イスタンブールでもほぼ同じ。モーリシャスだけは車での移動が主だった。マニュアル車でラウンドアバウトに注意しながら走り、止め、歩いた。市街地の坂道でのエンスト再発進は日常。
京の街中の白川での一瞬の煌めき。街中であろうと田舎道も彷徨い、腰を下ろした一瞬の記憶が一番残っている。
物には有機無機問わず自己保存の能力を活かす。雑草、昆虫、鳥類、人間、組織、組合。自己子孫を永らえる選択を繰り返し、有効な手段が残り、枝葉異種は何かに備え、分派して行く。組織も自ら永らえる為の手を尽くし、長期短期両面の視野思考で枝葉を広げ生き抜く。山火事で初めて生きる種や水害用の種子を普段は捨て置き、備えて残る。進化論の一脈。学校組織も宗教組織も動植物同様、時に狡猾な手段を用いて残る。最近の事件もこの歴史を如実に体現、表現しており、互に喰ったつもりで儲け合った輩が、家族、自身をしゃぶり喰われた個の一刺しが生んだ怨恨犯罪。国会で嘘を重ね、官僚の自死、秘書の逮捕も何処吹く風の態度もデバイスとはなっただろう。
宗教組織は霊感商法として多くの被害者、家族との問題を起こし訴訟され、表沙汰になり、淘汰されそうになるが何らかのパワ-が働く。マスコミが煽ろうが政治的封殺が止める。その為には票、金、運動、幾重にも張った罠で絡め取り、保守、反共の旗印で右翼活動同様に社会悪を装う。訴訟、信者奪還で内情を知る弁護、当事者が語る時だろう。最早時代遅れの仕組みの膿を出さないとならない時だろう。暴力団、紅蓮隊を使った政治権力も今や半地下から滅亡へ向かう。出来ると信じよう。ニホン。