先人の没報道。
立花隆さん。 ご冥福をお祈りします。この言葉が似合わない方で、各々の持つ宇宙を彷徨っているのだろうか。 青春の頃、好きな作家を見つけたくて読んだ青春放浪。「なんとなくカッコいいな」と思って手に取ったアーウィン-ショーやヘミングウェイ、だが、ただガイドブック的記述が田中康夫を思わせ、何方が影響を受けたか知らないが、知りえた順で評価しなかった当時の自分。立花隆さんも連載記事や対談記事で少し知って読んでみたが難しい考え過ぎるベースラインとオカルト的に科学を超える思想になかなか同感出来ず、読解力無さの上で受け付けなかった。思考が深まる読み物よりトイレで膝に置ける程度の片岡義男のマンガ的で読み手の想像の余地が充分に置かれた読み物。断片から自らを投影する娯楽的読み物に熱中した。多分深く考え過ぎる事から逃げたかった当時。心中は尊敬し、中々レベルが追いつかない己を恥じていたあの頃。 そんな立花さんも召された。ルポライターと呼ぶには取材データはそれ程積み上げておらず、先入観とオカルト感が印象に残った。柊生追い付けない先人でした。近くにも行けない。死生観と肉体と精神について今思う事を伺ってみたい。 もうお会い出来ないのが現実。
最近は著名人の没報道が多くなって来た。年齢相応にも思えるが若過ぎる場合は自死が多い。追い詰められて視野が狭くなると私は無理から遊びに出ていた。イスタンブール、アンティーブ、マラガ、マルタ、タリン、マカオ、バリ。週末だけの2-3日のみだけですが往復のトランジットでイスタンブールのサウナでリラックスし、それなりに楽しんだ。そして切り替えた。悩んだ事は残っているが気分だけは少し変わって新たな対応策が出る事も出ないこともあった。全て自身の記憶にしか留まる事が無い単なる1ページだが、何年経ってもよく思い出す。イスタンブール旧市街の商店ギリギリに走るトラム。早朝暗い頃から大八車に満載の商品を何処からか引いて集まる物売り達。おっさんや青年が夕闇時にまた其々帰っていく。このような光景やインドネシアの活力を見ると「金は無くとも一生懸命に働き」そこには夢や希望、一片の騙し合いや絶望感が混在していそう。勝手に昔の日本にもあった光景かと思った。
感慨と元気を頂き、世知辛い日常へ帰って来ていた。
幼少期を中国で過ごし、引き揚げ後に大学進学、「苦労」と言葉にされなくともいろんなシーンを観てきたのであろう。老いて後、ドキュメンタリーで公開された書庫そのものの自宅。本の渦を地下に貯め込み、整理ばかりして読む時間が無いとの事。
お亡くなりになった現実感が乏しいのは肉体が滅んでも思考、意思が生きている 脳死 の逆なのか。流石 先生。