今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

移動制限 感染は収まる兆し無し

最後の大物 冷蔵庫の運び出しを終え、どっと疲れが出ているが、終わった訳では無い。 昼ご飯に野菜ナムル丼を頂き、珍しく朝食べていなかった事に気付く。薬を飲む為にスープだけでも毎日欠かさなかった朝食。家具家電が無くガランとした部屋ではこんな習慣すら抜けるのかと一考。 飲薬した。

本日は冷蔵庫(園芸科、済)。サイドボード島民引き取り、ハンガーラック類ジンブン館寮寄贈と自分の荷物の選別。 荷物はやはり多いので不用品選別を最後にもう一度、シェイプアップが必要。捨てる物は捨てるが大切な物が混じらないように要確認。

それが済むとソファーベッドを一階に下ろして同僚に残す作業。

久米島高校は週末毎に多数の教員が本当へ戻る。原因は島民の教員が居ないのが一番、本島から赴任の先生ばかりで交通費にも補助があり、県庁絡みの出張があれば勿論だ。その中で島民から教員の移動即出勤にクレームが出た。戻って当日そのまま出勤も当たり前だった教員には大きな障害だが、これも島民の正直な声。 大挙して空港で待ち、大挙して戻る。普段は社宅寮で島民とのコミュニケーションはあまり無い。本島がこれだけ汚染されて来ると流石に心配になる。現在は休校中だが戻っても高校には行きたくない雰囲気が起こっている。排他的で利己的過ぎではあるが、町の清掃や祭り、サバニイベント、イーグルス来島でも会場で見掛ける教員は校長しかいなかった。マラソンには生徒強制参加で流石に応援にまわっていたが島民とのコミュニケーション不足が全てだ。昔は「飲みにケーション」があったが寂れた街と現代の風潮ではそれも僅かのよう。

週末帰った教員は2日間の自宅待機後の出勤となった。納得出来る措置で、何れ来る感染の際には更に厳しい移動制限がかかるだろう。那覇は今、感染者増大中だ。4月25日現在、知る所では久米島に感染者は出ていない。無自覚は除いて。

明日から雨予報、最後に雨か、風も少し戻る。天候での欠航は無さそうだが最後に雨か。好天に恵まれ台風には悩まされた1年でした。唯、余りにも世間、世界の経済動向が不明瞭過ぎる。経済も価値観も大きく変わる過渡期の様相。生き残ったとすればだ。これは予想外の終結

 

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