薄雲りながら気温は22℃「小春日和」。掛け布団代わりの重ね木綿ガーゼ毛布を天日干し。長く伸びた鉢に挿していたローズマリーの枝を切り分け、3本の挿穂で水に3時間、メネデール溶液10分で3本とも花壇に挿した。ベゴニア1輪とローズマリー擬きの草の間。
郵便局迄歩行。どうしてもメニエル フラつきが有り、郵便局迄歩いて確認。愛媛県の高校に藍の種を頂くので返信用封筒同封にて依頼。昨年暮れに採取を終えたとHpにあったので送ろうと思っていた件を片付ける。切手代往復168円。
暖かい日射に静かな街並み。いつもの島だ。
妙に日射が厳しい。ジリジリ焼く系の陽射し。
道路にさす自身の影が濃い。ついTikTokで偶に現れる動画を思い出した。付いて来る自身の影を怖がり泣く幼児の姿。コレと初めて眼鏡をかける幼児の動画はその姿に感動する。帰還兵家族再会ドッキリは軍務派兵が無い為か、ピンと来ない。 アメリカ、南米の子供は家族の帰還と仔犬を飼って貰った時は嬉し泣きする義務があるようだ。
合間にpcのWebで詳細地図➡︎古地図➡︎空撮➡︎戦後の空撮と掘ってしまい。先の大戦末期の大阪大空襲(主に京橋城東区兵器工場、難波、梅田、十三。私が生まれる20余年前。もう間も無く3回目の20年を生きる私には、面影が無いようで傷跡は残る街並みは記憶にある。
大阪駅前ビル前は長く通勤した場所。地下街は闇市の跡と第三セクターの杜撰管理、利権権利が渋滞していた。
掛け布団代わりに使っている綿ガーゼ重ね毛布を完乾燥から叩きながら取り込み。夕刻の水遣り。そろそろ柑橘もバナナも冬(?)肥料を施さないと。 疎に浮かぶ雲が絵画のようだ。
自然が創る造形は、時に芸術。稀だから貴重に感じる。時は18:22。 ミルフィーユ状に異なる時間帯の空を魅せるタイムマシーン雲海。 日は長くなりつつある。
夕食葉残り鮪刺身。月は雲海の底で違う造形を齎した。
未だ浅い二十日大根だが、美味い。拍子木人参迄酢味が染みて美味しい。ご馳走様でした。
インドネシア語で terima kasih untuk makanannya.
terima kasih テレマカシ ありがとう
untuk〜 ウントゥ 〜を (接続助詞)
makanannya マカン 食事
マレー語としてはsedap セダッ でおいしいの意味だがインドネシアでは何故か使わない。ご馳走様でした の慣用句も無い。 日常の定型句は無いので Enak エナッ 美味しい や kenyang クニャン(お腹)一杯 私はSuda Mahan スダマカン 食べ終わったと両手を合わせ、 Terima kaahi テレマカシ ありがとう。を使った。
関係無いが どっか行きたいな。