radikoから流れるは長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典8月9日 お盆前であり、暦では立秋。台風一過の島では蒸し暑さも乾いた風が押し流す一時の「涼風至」を感じさせる。
戦後76年、昭和20年とはどの様な世界が見えたのだろう。どんな夢を描いた(けた)のだろう。
今日生き延び、明日も生きる願いと、全体主義思想の押し付けの刹那的環境。夢を思い描く事すら憚かる世。図らずも見知った方の死亡の知らせは現世のコロナ禍でも似た様な点もある。少し前まで馬鹿な事で笑った方が亡くなる。意思に反して。
自らの生涯が僅かと知った時、人は何を思うだろう。刹那では無く、誇りある今日を過ごし、後悔なき1日を刻まなくてはならない。誰に評価とか関係ない、心置きなく迎えられるだろうか。己は如何だろう。引かれる後ろ髪数知れず。
沖縄では日本軍の消耗戦。島では残留日本兵の暴走。間違った考えや指令に生粋軍人に利己的にもさせ、もたらせた非人道的な殺戮。己が生きる欲に負け軍隊を言い訳に使う利己主義。考えられない程の悪行だが生き抜く為だけに動く時、人は安穏とした時と同じ善悪が判断できるだろうか。戦時の非人道的武器、人道的作戦での戦争って何なんだ。相手に銃弾、爆薬、火、水を放って殲滅させる。殺し合いに人道的手段って。
戦争は行ってはならない。数多くの人利害が相反してぶつかる時、歴史的怨恨と交わる時、実力行使に出られた時、武力で自国民の権益が侵される時、
如何に護り、如何に戦争を避ける。
武力保持、誇示競争となる今日。現政権に何を託せるだろうか。
現場では空気を入れ替え、キッチンのモルタル割れの補修、風呂場排水口周りのモルタル割れ、南掃き出し窓のモルタル膨張割れの補修。まず捲れる箇所を剥ぎ、ワイヤーブラシでモロモロ糟を刮げ取る。プライマーで錆止めと下地調整。簡易モルタル補修剤を入れる。
二階の廊下に雨染みとひび割れ箇所を見つけたので補修案を講じながら廊下壁板の反っている木材箇所を剥いで点検。木は集成材で捩れる様に反っている。水分を入れてかしめて一旦は戻せるだろうが再度乾燥、湿気を繰り返すと保たないだろう。入替か。
雨染みは根本的には屋根材から下の部材箇所、応急は屋内への浸入箇所のコーキング。木部反りはそれ程重要な箇所で無く。モルタルで囲まれた場所なので反りを戻して嵌め込んでみる事に。