今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

cleanaholic ? no

先日、大型不燃ゴミの回収を10時に終え、門前を掃き、まだまだある捨て去る物に少し疲れた。可燃小ゴミは比較的処理は容易だが不燃小物が多い。小さな金具、小瓶、、、ゴミ処理場でも何時迄も残り続くような物。 昔、マニラのスモーキーマウンテン近くの家庭を訪れた事がある。床のPタイルが半分剥がれ、コンクリートとブロックの下地の方が多く見え、玄関脇にプロパンガスのボンベとガス台が並ぶ危なっかしい家だった。ドアと窓は印象に無いか、記憶が無い。換気扇も覚えがないが、換気扇以外でも空気は充分入れ替わる家だった。治安が良くは無い。ガス台が高校の合宿時に使ったような骨組みだけのシンプルな造作。ゴツイ鉄の五徳上には中華鍋がそのまま置かれていた。 家の直ぐ横がゴミ捨て場で生ゴミだろうか、幾つかのドラム缶で焼かれて火の手が上がり、化学的な臭気と飛び交うハエが世紀末的だった。そんな所でも燃えカスに残りうず高く捨て置かれたままのゴミ。そんな小瓶、小さな金属片で出来た品々。いつ頃所有したのか最後に使ったのはいつか。不明。電化製品の廃棄は危険ゴミとなる電池を外し、不燃小物か粗大を分けて出す。 家電製品は余程の故障が無ければ修理してほぼ半永久的に使えると間違っていた過去。パッケージ生産でネジ穴の無い製品、センサーやリモコンの接触通電は素材の経年劣化で通電が悪くなり、何度か開けて掃除、磨き、ハンダ直し、アルミシール技迄試すが中々元通りとはいかない。少し古い機器は可変抵抗の劣化で部品自体の交換が出来る物もあったが、経年とは恐ろしく、ハードが直ったらソフト自体の存在が変わっていた。中々長くは使えない。簡単で快適な物を選択したツケがまわったのか。そこそこの音質でも長年手入れをして使える物はあるのか。レコード針カートリッジのリバイバルムーブメントもあったが、品薄、再生産を経て今はそこそこマーケットにある。それら時代を通り越したプレーヤーやMD、Betavideo Tape、日立wooのカセット式ハードディスク。アナログチューナービデオデッキ。。永く使える物を、そう考える頃には既に老年。 ある意味上手く出来ている。人間でもバリバリ燃えて生産的な動きが出来るのは25-45歳。20年程がピーク。前後は助走と惰性に過ぎない。一つの夢ならその程度。 複数のライフプラン、夢や希望があれば違うだろう。「昔は丈夫だった。」「修理して使えた。」と思うが、大方幻想なのか。脳はいい記憶を紡いで幻想を創り上げる。戦後20年に生まれ、今迄10年を超えて使う記憶も刻も無かった。そんな創り上げた記憶で生きている。

 

今の音響機器はどうしても電子回路、プリント基盤を使っており、メカニカルな動作設計では無いので便利な反面、何年かで操作系等の部品交換が必要となる。しかし交換が容易な設計では無い。

故に寿命。短期間での買い替えありきの品と考える。リモコンのボタン。テレビ放送を余り観ないのにモニター利用のせいか、接触不良で既に2代目も危ない。昨年1年間居なくてこんな具合。メーカーの日立は既にLo-Dブランドも遠い昔。既に音響、家電からほぼ撤退。エレベーターや発電、重機メーカーの様相。Pioneer、Alpen、山水、サンヨー、TEAC、皆ブラウン管と前後して消えている。サンヨーのテレビ。トランスミッター内蔵で音声をラジオで拾えた。アナログだがステレオで拾って音楽や映画を楽しんだ。年寄りになり、耳が遠くなった時にこの機能を日常使いたいと思ったらメーカーが無くなっていた。テレビ受像機はケーブル配信を使っていたのでデジタル放送化に乗り遅れた点もある。悲しいが落ちない顛末。刻は巡っている。

 

所有する事の意味を今一度考える。物も家も。

捨て去る仕事が続くと精神衛生上あまり良くないので新たに物件を買う作業をしてしまっているのかも知れない。他人から借りて料金を払うという物事はどうしても馴染めない。東京圏の家屋等、とんでもない価格の壁があれば理解せざるを得ない。今の判断は如何な物なのか、何にせよ今一度悩む。

岬の家屋にて。

島、吹田、岬、何処でも掃除と片付けだ。元来楽天家だった自分。原点に戻そう。