今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

私は関西人

岡山県から兵庫に入ってすぐのサービスエリア、

売店レジ前で3人程集まり、売られていた布マスクを手に持ち、大声で電話する集団がいた。 「○○さんにも訊いあげて!ー」と情報の遣り取りだがレジ前で見つけた商品を手に占拠。その間離れて後ろで待つ私に気遣うのはレジ内で所在無げな店員のみ。集団内の距離はほぼ密着。「自分は大丈夫」なのにマスクには興味がある のだろう。「あなたの為に外出先でマスクを見つけた」酔っ払いと同じだ。

車の調子を伺いながらゆっくり進んで来たこの帰郷。

関西圏に来て思うのは己も気を付け、他人を気遣う気概が薄い事。それだけ過当競争が烈しい世の中なのだろう。相互に気遣う重要さに気付いてないように思う。気遣うのはあくまでも目に見える身近な存在だけで他人まで気がまわっていない。小さなコミュニティの意識とは基本的に異なる。 サービスエリアの訪問客も作業着姿の出張労働者からユニクロ家族連れが多くなり、その殆どが距離を意識しないで近付き触れる距離まで詰めて来。大声で話すが子供は躾けない。沖縄、鹿児島で感じた「恐れ」「相互距離尊重」の意識共有が懐かしく思えた。

思わず関西へ進学した卒業生の事が心配になった。久米島の子は暖かい周囲の目で育っており、学内より生活面が気になる。頑張れよ。当分揉まれるぞ。

 

 

under the direction of the covid- 19

鹿児島新港に到着するとフェリーから下船後、荷物整理をしたかったが直ぐ後ろにカーゴトレーラーが付き、そのまま港出口へと進まざるを得なかった。取り敢えず南の指宿方面にハンドルを切った。

左手側に太平洋行先方向は長崎鼻、すれ違う車の数も少なく街並は長閑な田園と都会風田舎を幾つか繰り返している。都会風田舎とはロードサイドに駐車スペース遠持つ見慣れた店舗が一塊に揃っている絵様式で靴、スポーツ用品量販店、ホームセンター、百均、ユニクロ辺りの見慣れた全国展開ショップが群れている。日本中同じような物流、文化が根差しているのはテレビの影響か、少し畏怖すら感じる。指宿の街なみ。


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エンジンの冷却の具合が良く無く、少し休息を挟みながら北へ早目に向かう中、九州道博多を過ぎた辺りでエンジンストップ。 ピットストップのようにスマートでは無い夜間高速道での停止。ずっと走行車線を制限速度程で緩々来たが、止まった時はヘッドライトが消え、車内の各インジケーターだけが点灯する異空間。インターチェンジ出口手前だったのでスピードを上げたトラックが出口へ向かう走行車線へ変更する場所。恐怖だ。ハザードランプを灯し、路肩へ向かうが折しも陸橋上で路肩も車幅ギリギリしか無い。寄ったところでエンジンがストップ。 車の直ぐ横を余惑いながらも飛ばすトラックが通って行く。戸惑っていると感じたのはハイ、ロービームを切り替える車が多いからだ。 社中で高速道の緊急連絡先を思い返したが出て来ず。取り急ぎ110番へ。インター手前だったので場所は直ぐ伝わり、車を出て避難の指示だがノリ面の無い場所なのでハンドルを左へ切り、路肩前方20 m程へ出てガードレールに腰掛ける。 ハザードが切れたら追突だな。

パトカーが来る間にレッカーの為にロードサービスにも電話。 当然、スマホで調べながらの通報。

パトカーを待った長く感じる20分。発煙筒とサインポストを設置してくれ僅かに安心。更に20 分後にレッカー車が到着。少し相談し、近くの修理工場も近い平置き出来、レッカーの入れる駐車場のあるホテルを抽出。泊まった事は無いがロードサイドの少し変わった所にあるチェーンホテルと電話交渉し、ここへ向かう。時刻は深夜。コロナ対応でで偶々泊まれたのはlucky in unluckyか。誰もが今日の状況判断に躊躇する。「何とも言えない。」

エンジン停止から2時間程経ちホテルへ到着。岐阜、愛知への出張で偶に見た郊外バイパス沿いにファミレスやオートバックス、焼肉、ナフコ、手打うどんチェーン等が集積する場所だった。デベロッパーは何処だろうか?と要らぬ考え事を跳ね除け、疲れと膨らむ今後の不安で疲れても眠れない夜。 熱いシャワーで気を紛らせた。 

 

 

like an isobar on a weather chart

沖縄から南西諸島を経ての鹿児島航路は閉水域の滑走のように落ち着いた天候に恵まれ、夜半に奄美大島へ寄港時も自船の起こした波の戻し波で多少揺れた程度。僅かに感じるうねりの上下動と共に鹿児島に近づいた。 着港予定は定刻通り、奄美で先船がいた為、速度を落として時間調整をしたが何の影響も無かった。港の積み下ろしが忙しかっただろうと気遣う程、穏やかな旅だった。船内は途中の島々で多少の乗り降りはあったが、全般的の乗客は数える程僅かで2等相部屋でもお互い距離が取れただろうなと想像する。レストランもほぼ貸し切りで少し高い朝食を取った。

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鹿児島新港に着岸後は車を出し、何処かで荷物の整理、植物へ水遣りから始めよう。 何処かで入浴でもして緩々帰るか。 いつも天気図を起こす時の枕崎灯台から始めようか。

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On the waves

那覇出立の刻。 昨夜は2度風呂で今朝の分まで洗い清め、そのまま早くに熟睡に落ち、朝?3時には目覚めてぶらぶら荷造りをした。愛知東海では何度も忘れ物をしたホテルチェックアウトを落ち度ないように時間を掛けてパッキング、整理した。立体駐車場なので早目に、と予定したが4時頃はそれも杞憂となる時間帯だった。予定より早くホテルを出、港近くのセブンイレブンへ。久しぶりのナナコだ。沖縄勤務中にセブンイレブンの沖縄出店があり、那覇には数軒ある。久米島にも欲しいがファミマが出来ただけでも十分かも知れない。固めのプレーンなパンとおにぎりを買い、ホテルでいただいた水で流し込んだ。本日の朝食。 

ターミナルは守衛さんしか居らず。5時半まで待つ事に。車は快調でタイミングベルトも心配したが、オイル交換時に奥まで拭いてくれ、今の所異音は無い。 鹿児島で洗車、底洗いで締めよう。

05:30 待合所の施錠が空き、トイレが使えた。乗船手続きをと車検証を持って出向いたが6時の開始迄待つ事に。既に名簿など提出済だが意外とまどろっこしい。久米島商船は船積依頼書をフロントに貼っておけば積み込んでくれたが、マルエーフェリーは如何だろうか。

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6時を少し過ぎた頃、車の場所を移動しコンテナ積み込み作業中のフォークリフトが行き交う手前で少し待機、指示に従って船内へ。車を1階上げて3階と記載のある階で止め車の固定を待ち、荷物を手に船内へ。 乗船券の検めと案内にて船内へ。(この更新は何度か途絶えています。)

幾つかの寄港地を経て九州本島へ向かうが船内は何処はかと無く閑散としており、旅客部分は設備を持て余しているが貨物は盛んにフォークリフトで積み下ろしされ、島での生活を思い出させた。

海が荒れると食料品が届かないのが日常で、その為にも保存食の買い置きが必須でレトルト、インスタント品も好き嫌いを問わず幾つかはストックしていた。


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船内ではビール、飲料は定価より若干高い位で無茶はしていない。食堂はメニューを見ただけだが若干高く思え、営業もお昼30分、夕刻1時間程で余り一生懸命では無い感じだ。売店でではおにぎり、カップ麺(お湯は食堂に給湯器あり、24h)週刊誌、スナック菓子等、野球場よりは良心的な位。

船内ですごすには、おにぎり、パン、カップ麺、湯呑みコップ、お茶葉を持ち込み、ビールは船内購入で十分だろう。

船内wifiは上下が激しいがいい時で3M、悪いと認識不可となる。テキスト位だ。

 

Closed(down) city

那覇での宿泊。

 

2泊する那覇では午後早い到着後に泊から那覇フェリーターミナルへ移動、場所、ルート、駐車場所を検めて乗船券の購入、精算を行った。 電話で予約は済ませてあったが支払い、乗船名簿の提出までは安心出来なかった。那覇で2泊する理由自体が久米島からの海路に欠航があった場合を想定しての措置。先週悪天候で2日間欠航した時は気が気では無かった。那覇発九州便は週に2便あるが2等寝台でドライバー用個室ベッドがあるのは週1便のみ。ややこしい事に久米島から到着するとまりんターミナルとは異なる出港地、埠頭だ。モノレールで2駅程の距離だが疾病以降、閑散とした久米島でしか運転しておらず、己の感覚に多少不安があった。 ゴールデンウィークかかりの那覇は知事の自粛要請も有り、平日より閑散とし、自粛時短営業が多い店舗、閉まった観光施設、公共施設が那覇市民にも殆どマスク姿と影響を及ぼしている。 空気が重い。 

フェリーターミナルで支払い、伺事を済ませ、出立日の朝6時には指定の場所で待つ段取りとした。

車は有料駐車場横のガタガタを通り抜け、コンテナが並ぶ埠頭奥、目印が無い所で駐めて待つ事に。当日は前に船が着岸している筈。 事前に訊いて置いて良かった。那覇での宿泊は普通のビジネスホテルだが久米島暮らしの押し返しで大浴場と駐車場ある、出張で良く使ったチェーンにした。浴場は夕方と朝一番の人気が無い時間を狙って楽しんだがそもそも宿泊客も極僅か、朝食時のビュッフェは定食膳っぽく変わっていた。全て新型コロナの影響。 那覇だけでもこれだけ疲弊が見て取れるので京都辺りは惨憺たる状況だろう。 浴場の風呂に浸かり全身に感じる僅かな水圧の心地良さでネガティヴな感情を押し込めた。 

夕食は近くの路面店の焼地鶏丼。昨夜の疲れも有り早々に夢の中。 ホテルにはテレビがあり、久しぶりに見たが、報道はabema&テレビ朝日番組やYahooでのTBS,日テレと大差無く、abemaの記者会見完全中継やBBC報道をネットで視聴していた島の方が楽しめた。民放もNHK地上波はやたらとバラエティタレントや無作法なガヤ発言キャラに字幕で笑いを演出する様にガッカリした。

2日目は九州へ着いてからの事を案じ、ボロ車の給油、オイル交換、錆錆びのワイパー交換、ETC車載器の取り付けセットアップにイエローハットへ向かった。事前に調べ、オートバックスより近く、隣にメーカーディーラーもあったので此処でメンテした。朝一番客で入って全てをお昼に終えた。他にも問題点は幾つかあるが後日とした。オイル交換時に車体下も細部見たが漁港前に1年駐めていたので錆劣化が心配。自転車は給油していても半年で変速機が全く動かなく廃車となった。

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4月28日の午後は流石に仕事を収める勤労者でトラック等が増えたが何処と無く「閑散」の那覇だった。 ドンキや県立図書館によって見たが公的施設は軒並み休館。ドンキは全国変わらない。

遅めのランチに待望だった那覇ステーキを食し早々と寝んだ。 僅かな那覇休暇だった。

さあ、今日も風呂三昧かな。貸し切りだし。

(尋ねた所、20名宿泊。何時もの15%位)

日本大丈夫か?

 

 

 

さようなら、久米島 Live

4月27日 久米島を発つ日。朝、普段より少し遅く目覚め、昨日の片付けバタバタを身体が思い出させ、少し笑いが出た。 島に来た時も発つ時も掃除に明けた。温暖な気候だが湿気を含む海風が空気を湿らせる。この部屋に来た時はカビとの戦いだったが、住んでいる間は寒気が利いたのか、人が住む魔法なのか発つ刻はカビは見当たらなかった。押し入れもバスルームも使っていれば日常汚れだけだ。荷物の整理に手間取っただけか。

7時を回った頃、隣家の同僚が最後の顔合わせに来訪。別れとお互いの激励。

色々積んだ車で緩々と兼城港へ。乗船手続きは済ませてあるので車のフロントガラスに積載証を出し、商船事務所前に駐め、徒歩で乗船。車の積載領収証が乗船券代わり。 船内は座席もお互いの間隔を意識させる仕切りと張り紙が目立つくらいで平和な日常、、ゴールデンウィークとは思えない。閑散としたフェリー琉球は静かに兼城港で出港の刻を待つ。

船内の私に電話着信。 冷蔵庫を託した園芸科の先生からだ。サプライズに驚く思わぬ送り出しだ。

教職員が兼城の港に揃い、紙テープの儀式で送ってくれた。 


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フェリー琉球は静かに兼城港を滑り出した。 昨夜の強風が嘘の様に止み、静かな湾内を後に久米島を発つ。少し沖に出るとうねりが来た。

但し船首がリズムカルに波を切る心地よさだ。

渡名喜島を経由する頃には空も晴れた。

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風が吹き荒ぶ雨天の島

久米島は雨。 風は少ない微風から時折のブローが出て来、次第に強く吹き荒ぶ。風は潮と合わさり、うねりを生む。明日の航海が穏やかである事を願う。

小さな小さなコミュニティでの療養生活も終える。

関西はどちらの家も此処よりも危険な現状。

岬公園が終幕し岬町はどうなるだろうか、新たな施設云々所では無い世情になっている。空港での仕事の需給状況も読めない。大きなショッピングモールや観光施設、カジノが来ても今の世情には合致しない。こんな時に投資できる人が凄いのかも知れない。いつか収まる刻が来るとしたら「その後」の経済、生き方はどうなるのか。何を身につけ、何を止めて生きるか。この感染症を生き残ったとして、少し考える。日本人は熱しやすいが飽きっぽい。そろそろ動き出す予感。after corona の世界。

部屋はやっと空になった。 船で帰ろうと思って片付けを後回しにして最後に難関を残してしまった。先週から「概ね」片付いたと思っていたが「概ね」の向こう側にいたようだ。全然煮詰まって無かった。最後にバタバタして片付けた。

荷物の多さに辟易とするなら捨てればいいが、中々捨てられないセコ貧乏性に、辟易だ。

隣家の同僚と一昨日に続いて夕食へ。彼も色々悩み多い人生のようだ。 8時には戻り最後のゴミ始末。

明日は朝早い出発だ。車での乗船は初めてだ。

早く休んで朝食でも買って出よう。