朝06時、急な雨が近所の屋根を叩く。バラバラ高い音はトタンの仕業。予報では今夜からの雨だったが風を伴う雨は厄介。家の中に吹き込むから。仮住まいでも平安時代の様に、窓を開けて常に空気を入れて暮らすので雨には敏感になる。
土曜日の朝。この地域は可燃ゴミ収集日。町指定袋に入れた生ゴミを家前で近所の幾つかに混ぜ合わせて出して置く。先日は現場でも一個出し、無事回収を確認した。
昨夕、久々の煮物と刺身で少し酒が過ぎた。身体が怠い。早い時刻のうたた寝から目覚め、お茶を頂くも口内の気持ち悪さから歯を磨き、更に寝んだ。シークワサーは酸気が強い。
radikoを聴き寝むも何故か内容が面白く無く。消して虚無の時間を楽しんでから眠りに落ちた。
スマホが充実する前は情報端末として、どうしてもお粗末だった携帯電話端末。時をほぼ同じくApple MS DOS Windows がNEC PC80--MKとナローネットの日本ドコモを置き去りにしたネットワーク創成期。仕事で使うオフコンのリースを残したままパソコンが売れた時期。携帯端末も存在自体が変遷。今は待たずにテキストだけでは無い報道や情報を見る事が出来。就寝前は届いたメールや不在通知と広告を選り分ける時間となって久しい。マーケティングは功罪取混ぜ意識の一部を一瞬だが使用する。容量とゴミ箱に余裕が無いと、しんどい。 私が良く楽しむ音声メディアもラジオ戦国borderless環境で南の最果てに居ながら北の大地や北関東のローカルネタをも聴き楽しめる。関西で育った私は自然とメディアとしての喋りに厳しい耳を持つ様になった。内容が伴わなくとも間を埋めて卒無く進行する中身の無い喋りは余り好まない。
トイレにもスマホを持ち込むようになり、自ずと虚無の時間、己の思慮、予定、考えを整理する時間を無くしている。だから失念も増えたのか。 癖とは怖いもので、容易に習慣化し、チェーンスモークが如く意識無く中毒に陥る。
通気電車で見る対面座席の全員が其々スマホを眺める絵。少し前迄は電車内ではスマホ禁止の風潮があっという間にマナーモード世界へ。見知らぬ街でGPSマップ等、便利で手放せ無いが自律して『虚無』を持たないと。
そう考えながら、無我の眠りに落ちた。
朝8時、雨は通り過ぎ、風が強く、沖のリーフには白波。現場迄歩きながら車を現場に置くか、仮住まい近くの海沿いの公共駐車場に置くか迷った。直ぐに乗るなら近くがいいが波風が強くなりそう。安全なのは家の現場駐車場。
迷いながら現場で飛び散りそうな物を確認。庭を一周する。南側のフェンス外側にドラゴンフルーツが幾つか成っていた。庭のバナナも後1週間後位が熟れ頃か。余分な葉を出来るだけ落とし、台風へ備える。庭の凸凹は如何しても足を取られる。トラクターが欲しい所だがそれ程広くは無い。如何に開墾していくか。午後3時には雨が強くなって来た。まだ通り雨のようだが本格的に雨風が又出て来た。車を安全な駐車場に留め置き、雨の合間を縫って小走りで仮住まいへ。いい運動だ。まだまだ遠いのか外れてくれているのか、接近時の底力はまだ感じない。
海側に出ると流石に風は力強いがまだ子供が駆けて遊んでいる。セメント瓦にシートを補強していたおじさんもいつの間にか引っ込んでいた。
夕食は食べ残しの煮物、置いてあるオクラ、南瓜もある。運動して戻り、野球のラジオでも聴くか。
両手には摘んだシークワサー2個。