今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

11/23 木曜祭日 移動日

朝は6時のチェックアウト前に朝風呂。温め過ぎると長い一日がきついかも。 最寄りの見栄橋駅からゆいレールで約20分。15分刻みで来た列車で空港ヘ。まだ6時15分、薄暗い。

那覇空港の7時は開いているのはコンビニくらい。食堂やラウンジも8時まで開かない。土産物は売られている。

何度となく歩いて廻るうちに時が過ぎ、フードコートの沖縄ソバを頂く、千円程。 そろそろ第二ターミナルヘ移動。移動には専用バスを使う。道のり5分、待ち時間15分程。2連のバスが15分置きに発着するがほぼ満員。荷が多くなると結構ストレス。 LCCでの移動は金額が安いからの選択。その中で早朝、長時間待ちで消費が必要となる。本末転倒かな。

関西まで2時間。これも満席。既に喧騒は気にならないモードに自ら落とし込む。空港売店で購入したニュース誌と文庫本、ダウンロード音楽を聴く為のスマホで殻に篭る。 昼には関空。着いて先ずは記帳。祭日だがATM は動いていた。だが殆どが「おまとめ」扱いで記載が無い。都市銀行の口座を保持していたが、、、もういいかも。明細請求で又コストが掛かるだろう。 40余年、世話になった。

次いでいつも寄っていた一村一品マーケットなる店ヘ向かう、が営業していない。何度か移転していたので案内に訊くが「閉店されたカモ、、」今のリストに記載が無いとの事。 浦島太郎か。

那覇で食した朝ソバでも動いていないので腹持ちはいい、しばしどう動くか考え、私鉄で家ヘ向かい、荷解きして出直す気にならずこのまま近江ヘ。空港快速でほぼ各停工程、耳懐かしい駅名だが線路脇は小さな畑と密集開発宅地の割合が徐々に家頻度が上がるだけ、店舗看板も全国余り変わらないモール、センターで良く見る店舗も変わらない。稀に3階を越える小規模マンションも徐々に増え、河口だったであろう地には大規模団地かマンション群。商業ビルも増え出し生まれ故郷近くも全国均一地方都市風となっていた。あくまでも車窓風景だけだ。下車を迷うが高くつく。 長く勤めたターミナル駅で路線を変え、古都でもう一度乗り換え裏日本の入口ヘ。車窓は積木かレゴ細工様相の過密家屋から徐々に田舎の低い建築物に戻る。目的駅の一駅手前で降り、長く我慢したトイレを済ませスーツケースを引きリュックを背負って冷えて澄んで感じる空気の中、田舎道県道を進む。広大だが人気と手入が余り見えない田畑の合間に小さいが精一杯手入れがされた畑を通る。第一村人だ。「こんにちは」に元気な返答。「綺麗な畑ですね」と訳の分からない事を言ったが心洗われた。都会からの移住者だろうかと勝手に想像する。知っている地の人っぽく無い。少し進んで同じような一区画だけ豊かに白菜ができた畑。叔父さん(年長でも僅かだろうが)が1人収穫している。「立派な白菜ですね、分けてください」と声掛けに半場驚いたかうなづく顔に近くの両親の家に向かっている旨、沖縄から里(?)帰り途上と返答しながら自己紹介。タダでいいと言うが種代として百円のみ押し付け白菜を頂く。家の場所を尋ねられ説明すると向かう方角が同じと送ってくれる事に、言葉に甘え古い日産普通車トラック(サニーでは無い)に同乗して5分程送って頂く。朝イチから色々の一日だが気持ち良く午後4時頃に親家に着。


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