今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

3/23 水(雨)曜日

朝まで降り続いた弱い雨は徐々に止みつつも畝間に水路を残す。気温は19-22度、風は弱い。

厦門辺りから来た低気圧は前線を残し日本東海へ伸び、雨雲も東へと流れ込んで来た。ある意味春らしい静かで長い雨が続く。この雨も今日限りで一旦は明け、週末は雨模様の予報。朝は納豆と味噌汁。飲薬。f:id:info-tino:20220323090327j:image

晴れると硬くなり、雨では鍬は入るが重く返しにくくなる土。午後には雨が上がり、風が強くなって来た。上海辺りの高気圧が東進して南部前線をも太平洋へ押し流し前線も東海へ。

庭は水溜りがボツボツ残り、畝間は水路状態。

短く刈ったトールフェスク芝は禿げていた部分が目立つので雨を利用して隙間に種を補う。


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結局雨は長く断続的に通っていった。

 

ウクライナは西側の情報しか無いが、垣間に流されるロシアの報道にも何かバイアスを感じる。日本の報道は単純に悪の枢軸との見せ方が過ぎる。少し違和感もあり、フラットな地域の情報は無いものか、見渡すがアルジャジーラもアジアアフリカもロシア情報は見当たら無い。新華社通信webサイトでもウクライナの爆破されたアパートの残骸や避難民の姿は映されているが英語訳サイトだけなのか、細部の言及、表記は一切無い。中国国内の防疫情報、ウイグル族らしき人の政府に感謝の情景が禍々しく掲載されている。プロパガンダとは死語だと思っていたが、充分現世に生きている現実なのだろう。

ウクライナは自由化、西化を夢見て以前の露傀儡政権を追い出した。その後、軍の強化、西側電力網への接続と欧州化を目指したがロシア教育を受けた年配者は何処か置いてけぼりでもあった。そんな揺らぐ隙間にロシアが攻め込んだ。クリミア半島もまだ微妙な位置にある。ロシア系住人、タタール系(イスラム教)住人がそれぞれ1/3を占めウクライナ正教徒とは一線を介する。そもそも全般にユダヤ教徒の多さも侮れない。結局宗教を極めた者は聖者では無く粛清を計るのか。理由付けは数多く、殺生そのものを悪としない、これが宗教。どこかで預言を誤った。

日本の太平洋戦争時は神道との名の下に全体主義を強いた権力者。先輩を敬う気持ちを利用し、従う楽さ、のみ強いた。そして暴力、罰で人民を縛った。宗教に頼らなくても同様の下賤な手法とプロパガンダで終末へ転げ向かった。

戦後77年、人類は何を学び反省し、何処へ向かう。