子供は世の鏡と言われるが、確かにバブル尻尾の頃は金に躍る大人達の姿を見てか自然と拝金的思考となった。気が弱い癖にお調子者の自身も流されて暮らしていたが、ある担任に悉く嫌われ、何事も否定される事に意味がわからず。嫌われているんだとの自覚しか無かった。何を持って意趣返しするかや、この虐めを回避する術、努力する思想も無かった。6年生になり担任は代わり、気を遣われるようになったが、総じて意味が分からなかった。中学の頃は校内暴力と変なヤンキー憧れる社会に同級生が次々と変わって行くのに全く感覚が同意出来ず、成長が追い付けなかったのか、自身は子供的思考しかなかった。思慮など無い表層の世界に生きており、事ある毎に意味不明の悩みに堕ちた。
現代の悩みは即物的でこれも余り褒められる事では無い。 偉人のように大きな大意、夢への悩みであればいいのだが。政権に文句を言い、投票行動くらいしか出来ていない。
それでも朝は来る。 雨予報が逸れた曇天明け。
仕事は無機質マシンとなってしまうが後を濁さぬよう。
漁港ランチも終わりが近い。車検も近い。