今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

4/14 木曜日 薄雲明け後晴 暑い 変な天気。肥料購入

昨日まで居座った薄雲は朝まで残ったが、徐々に流れ去り、湿気は残ったまま暑さが襲って来た。

何もしなければ平気だが、動くと直ぐ汗が流れる。運動だ。フィットネスに行く必要は無い。朝、水遣りを終えて乾麺戻し蕎麦を頂き飲薬。朝は温かい汁蕎麦でも平気。そもそも蕎麦麺が小麦粉ベースなので、ざる蕎麦より汁蕎麦で頂く。汁は出汁素を破き干し椎茸と味醂を足して煮出す。その中に卵を落とし入れて少し炊き、白身で薄く表面を纏わせる。 出汁は天然物を破って煮出すので薄めだが味醂が効いて美味い。飲薬後朝の内に農協購買へ、堆肥を購入。


f:id:info-tino:20220414123805j:image

f:id:info-tino:20220414123803j:image

f:id:info-tino:20220414123808j:image

農協では15キロを最低単位の50袋購入。町の緑化補助金の申請も併せて済ませた。農協2往復で運び込み、積込はフォークリフトだが下ろすのは手作業。ひと汗かいた。都合750kg。

駐車場横の庭に運び込みながらラジオ報道を聴いていると、ついにフィンランドまで危機の影が伸びて来た。関西空港から毎日就航していたフィンエアーは何度も利用した。ヘルシンキエストニアへの渡航やフランス南部、イタリア国境への渡航時。就航記念の販促時から使い、良く売った。販売するには機内、乗継を体験していないとトークが鈍る。機内食、サービス、座席の設備、エコノミー、ビジネス共満喫し、ネックだった復路の時間の速さ(欧州主要都市から朝一番発となり、僻地が多い学会開催地等からは前泊かヘルシンキでのトランジット泊が必要)空港内の宿泊箇所も歩き見て歩き、航空会社バスで直ぐ行ける中央駅近くも泊まってみた。快適でパリよりも英語が通じ、安いWi-Fi、サウナ付きホテルも見つけた。フィンランドは自身が中学生の頃は欧州で一番日本語熱が高い親日国として知った。そのいわれは同じ枢軸戦敗国であり、過去には共通の敵と戦火を交え、譲らなかった(太平洋戦争前)対ソビエト感情も大きく影響していた。第一次大戦前、日露で勝った日本はフィンランドでは英雄視された。後々フィンランドはユーロ加入、より厳しいシェンゲン協定加盟(通貨はユーロ)も経たが対ロシアの軋轢を避けて経済発展によって平和理に手出しされない対応策を歩んで来た。直ぐにNATO加盟したが政治課題が未熟なトルコとは全く異なる。NATOもトルコには加盟させてから見合う成長を期待したが未だ道半ばだ。シェンゲン協定の基準にも程遠い。そんなフィンランドを何故刺激するのかロシアは。今のウクライナモルドバ、バルト3国、(ベラルーシ)への内戦誘発、進駐、手出しを見てこれらの国がNATOに偏るのは自然であり、己が起因。ロシア語を学んだ身としての親近感も、これまでなのか。

西側メディアの情報しか入らない今、ロシアの国内報道は如何なる状況なのか。市民が報道に興味を持つ為には経済制裁も有効だとは思うが先の大戦の日本のように追い込んでいいものか。ロシアから既に国際企業となった財閥には一部反旗を翻す意見もあるがロシア国民の気付き、目覚めを期待していいものか。戦前の我が国は敗戦で初めて襟を正した。

古くは土着の多神教を信じ、好戦的なキリスト教化が遅く、先進国の影響を受けた江戸時代のフィンランド。まだデンマークの所轄領地に過ぎず、スウェーデンが独立し、接するフィンランドも所有され、キリスト教徒十字軍に侵され、支配を受けて来たフィンランド。ロシアとスウェーデンとの綱引き舞台として翻弄され続け、明治の頃、ロシア皇帝より公国とされ、曲がりなりにも自治国となり得、スウェーデンの呪縛を脱した。ロシアの隣国策の一環でしか無い。昭和の日露戦争の頃、内戦事変を起こされたのを切掛にスウェーデンに続きロシアと戦火を交え、東西で同じロシアと対し、この頃に親日感情が芽生えたのだろう。第二次世界大戦では旧宗主国スウェーデンに従ったが中立主義を取られ、国境を接する反ロシアも理由となりドイツに懐柔され、日本と共に結局戦敗国となった。この時もロシアとの戦争最前線となり多くの国民を失った。まだまだ国としての歴史が浅く、フィンランド語を公用語と出来たのは長く対峙したスウェーデン、ロシアの統治を受けている時代。共に領土問題、国境問題を抱え、争って来た相手でもある。但し近代史では国土内の分離独立派を生み出し、時代遅れな手法で介入してくる対ロシアへの反感が歴史的感情もバイアスに輪をかけて強く険悪感としてある。隣国を嫌うのはどこも同じ。キリスト教国のサガ。

 

バンデラス ウクライナの英雄

ウクライナドネツク州の村で起こった騒動を描いたウクライナ制作の映画。内部で歪みあっている最中に制作公開された政府側(西側)の映画。

ロジックも中途半端で、最後は殴り合い、撃ち合い、ウクライナの農村、都会の景色、生活様式、倫理観、貞操観念は窺える。同じ国民同士での内線が他国(ロシア)介入の下で引き起こされ、泥沼に落とされる、仕組みとロシアのよく言う「ファシスト」「ナチ」との表現とその声の起因を起こすロシアの計略が散見、垣間見える。但し、ウクライナの現実も政府内スパイを裁判無き銃殺に処したりする現実と併せて理解しないといけない。少なくとも裁判を経て理由と犯した罪を明白にしてから処さないければいけない。即刻銃殺は何も生ま無い。

分離派(ロシア派)に与し、敵となった幼馴染に対し「誰でも間違いは犯す。大切なのはそこからどう這い上がるかだ。」と終わっている。この映画自体が一種のプロパガンタの可能性は充分ある事を理解して観た。太古の宗主国、独立の起因となった帝政ロシア、明治の頃まで魔女裁判をしていた欧州、中々奥深く考える切掛にはなる。