着いた所で、何か急ぐ必要がある訳では無い。身勝手ながら、折角馴染み、敵もいたが落ち着いたシュミレーションを送った島から家財をただ同然で売っぱらい、あげて懸念解消に向かった島に解消の目処を立てて戻りたかった。 コロナ禍での都市部は過ごし難く、南洋園芸の知識を得る道も、うまく就けなかったのもある。差し戻して3年程無駄にした。
朝、陽が上り風はある程度吹いているが乾いたいい天候を確かめると、過去の思いを再認識する為に同じ行為をしてみた。過去に最初に住んだ辺りが今は大きな公園、広場、防災施設になっている。ここをウォーキング。海近くの場所でもデイゴはよく育つ。高校勤務時悩まされた飛び回る広葉落葉樹。丁度細やかな花をつけていた。風に強く、自力で形成する枝振りは見事に自然に調和する形で歪なものは無い。ただ乾燥した落ち葉が風に舞い、コロコロ転がる。広葉樹で後に肥料になるのだが、サッカーゴールなどに吹き溜まり中々手強い。集めても乾燥し硬い大きな葉は嵩張り、移送に手間が掛かる。風に転がる葉を追いかける掃除当番の生徒は風物詩でもある。
快適な気候、何も無い街、僅かだがカフェとコインランドリーが新設され、路地裏の廃墟と化していたかつてのマグロ釣り店舗が隣の民宿により購入され、工事らしきが始まっている様子だが、近所の話では遅々としたペースで駐車場にするらしい。
直ぐ近くに公共の無料駐車場が有るこの辺りで必要なのか。都市部の感覚では押し測れない。
昨夕も対象の土地付近を散歩し、夕方の陽の入り方、風、音、匂い、虫、肌感覚等感じ取れる感覚をフル稼働させて散策した。一角に風通しの悪い場所があり、接した里道は草が茂るが、この整備は何処、誰が、勝手に手出し出来るのか? 等些細な疑問はあるが、静かである事は確かだ。
思慮の時間無いままに2-4月を駆け抜けたので北摂の家の残置処理、廃棄処分から一時の休息ではある。
焦らずスピーディーに決断したい。矛盾する想いに自ら苦笑する。
田舎は周りを気にするのが大変と言うが、確かに噂話は多いが、私は此処では何故か気にならない。都市部では近隣が気になり、自由で居られない。他人の目を気にせず、己らしく身勝手に居られるこの島が好きだ。何故か解らない。
食事のせいか