今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

久米島から野菜の苗

朝、晴天から曇天へ、昨夜の盛り猫の唸り声で深く眠れなかった気がする朝。6時前後に目覚め、歯磨き、洗顔、髭剃、寝癖直しの「山田、佐藤、今井、白石、稲葉」を思い出す様な鉄板ローテーション。朝食は納豆と鯛のアラ味噌汁の残り。そしてお薬。

素材の素性は違うが基本は変わり映えしない。7時には全て終え、野球で言えばリリーフ山沖のコール。少し早すぎたので急にスローにシフトダウンし職安へ持っていく物を確認する。 今日は職安で離職票の原本を頂き、学校事務とのやり取りの整合性を確認する。 前職の公立学校からは離職票が出ておらず、保険離脱証明と合わせて請求したのは先週。先日、電話連絡が有り、「離職票に署名押印して送って欲しい」との事。 島には職安も無いので書式一つの請求でも本島頼りだが、、それが事務の唯一の仕事だろうとは思う。私は離職者本人。

本来事業者、雇用した側が用意する書式を被雇用者が請求し、白紙署名押印する不合理を埋める為、幾度も複数人に話し、学校を非難する声は出るが私が職安も無い離島だから、と諭す側に。解決案は誰も出ない。結局、この件だけですよと渡され、

白紙委任状に署名押印する責任は自分。役所同士の避難に笑いが出た。同じ匂いの人達か。後で揉めた時が見ものかな。

丁度お昼時が近くなり、職安も蜜になり掛けて来たので辞し、階下の職業実習担当へ訓練は見合わせる旨告げて先日のお礼を言って後にした。

何はともあれ欲しい書式は入手したので良しとし、近くの公園で職安待機中に閲覧した求人のプリントアウトを精査。

心なしか懸念が解消へ向かう方向に心が晴れ、メールで届いた久米島の知り合いからの野菜苗あげますの知らせを「今更だな、」と喜ばれる引き取り先を模索した。学校園芸科職員と寮生と南農園さんと、、大阪に送付を誰に頼もうか、。

少し安心して色々思考を巡らせながら歩くと集中力が増す気がする。歩行中の大脳血流の因果関係は何かで読んだが、結論ははっきりしていなかった筈。

脳関係に思考を飛ばしながら三国から新大阪方面へ向き、入浴施設の現状が気になり出し、少し立ち止まって馴染みのある露天風呂屋のsiteを見るも「臨時休業中」との事。これも縁かなと。諦めて家路に。

駅前の種苗屋は冷やかすだけで終え、求人があった職へ意識が飛ぶ。北大阪の職場で朝、早い職。給与はそれ程良くも無いが、島でも募集していた給食請負会社。朝は通勤手段さえ有れば問題無いだろう。

昨年秋に営業担当者と病院で出会い、少し話をした。此方も4月以降の職を迷っていた頃で、先方は職員が産休予定で急遽代わりの人を探していた。タイミングが折り合わなかったが同じ法人管理の請負業務だ。マネジメント方法、派遣先との関係や厨房職自体と色々考えるべき事はあるが、今後何らかの仕事を長くしていくのであれば、経験して置いて損は無いか。岬は?吹田でいいのか?家はどうする。

考える事が多い。

江坂から休校中の学校脇を通り帰宅途中、学校の北側に小さく開墾された畑が見えた。学校敷地の端で既に散った桜の木と渡り廊下に挟まれた場所で何らかの農作物が植えられていた。 先日も此処を通る時に何か作業をしている気配はあったが今日は無人で、新しいマルチだけが目立っていた。久米島高校を思い出した。

植えられていた何かの苗は力無く項垂れ気味。

久米島の行き先の無い野菜の苗。を思い出し、人気の無い学校だが堤防から電話してみた。

教頭先生曰く「支援教室の先生、生徒が作業していた」との事。週明けに「野菜の苗がいるか、活用できるか」聞いて見ることに。繋がればいい。

意味無く心が晴れる曇天下だった。