今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

escape from “doubts beget doubts”

土曜日、今日明日は曇りから晴れへの予報。

朝曇りは想定していたが風が強く、薄く開けた窓からピューヒュー音が鳴り目覚めてしまう。

ゴミ出しにも間に合う時刻だが、ゴミ箱を覗き、次回にした。 可燃ゴミは週に3回、地区によって収集曜日は異なるがここは火木土曜日。火曜は不燃ゴミの収集車も廻る。可燃ゴミは町指定のゴミ袋、その他は透明袋か紐綴じでいい。朝07:45頃出勤途中に収集車を見掛ける。其々戸別収集で家前にわかる様にゴミ出しされている。 街にはガーラ山(カラス山)もありカラスも居るが都市部とは絶対数が違い少なそうだ。 何か天敵でもいるのか。

洗濯も終日晴れの明日を期待し、今夜か明日朝として緩々起き、うどん用出汁を水に浸けて置く。汚れ物衣服を洗剤水に出汁元乾物を鍋に其々漬け置き、週末の朝はうどんだ。関西人だ。

具用のかき揚げ残りも解凍して置く。生葱が無くなったので乾燥物を確認し、学校法蓮草も一欠片解凍して置く。

学校へ行くとしたら明日だ、今日の強風と明日の晴天下で植え替えが気になる。今日はつけ置き洗いday 

久米島は今の所感染者は表面化していない。だが本島との往来を鑑みると安心は出来ない。本島は全国との交流が盛んで、水面下にある感染が浮上したら今の関西、欧米の片田舎町と同じだ。 ウイルス検査を実施していないからの平穏。水面下は誰も分からない。己れは自己防衛しかない。

感染経路として今迄のケースでは被感染者と食事会合等で所在を同じとする時間を持っている。すれ違いか会話か、経過時間は不明。単純に考えると、人と過ごす機会を減らす事。人とは親しい友人であれ他人の接触歴はわからない。家族は安全と考える根拠も無い、2次的3次的な経過は更に不明。判断基準も個々様々。これは致し方無い当たり前の事。テレビ映画Walking dead でも被感染者は直ぐに症状が可視化され、感染の有無が認識される。自己認識も無いケースは描かれていない。より恐ろしいからか。

疑心暗鬼に捉われても仕方ないが、重症化よりインフルエンザで体験した身体の辛さは出来れば避けたい。被感染の機会を避け、インフルエンザ同様に密閉乾燥空間、人の飛沫接触、目鼻口への自己接触を避け、ルートになり得る手指口消毒洗浄を慣行する。各々が古典的伝統的な方法で自己個人防衛。 21世期、2010年の現状だろう。

幸い、マスクは航空機搭乗の際に暇潰しで覗く売店で雑誌と共に良く買っていた。買っても委託手荷物に入れてしまったりし、過剰に持っていた。そもそも眼鏡でのマスクは雲って結構辛い。自身の防衛は今の所大丈夫だが生徒の無防備さが心配ではある。学校以外も塾、寮、ホストファミリー、家族、バイトと接触は数倍多い。家族が空港で働いている子も普通にいる。1月に各手洗い場に石鹸を配し、2月には液体消毒石鹸も配ったが衛生意識は其れ程同期していない。ハンカチを持つ習慣も少なく、トイレットペーパーで手を拭き捨てる子が多い。それは教職員も同様。マスク率も低く、狭い給湯室で集まって弁当を食べ、職員室も余り換気され無い。気にする職員は其々別の準備室等に篭る。

1995年1月17日 2011年3月11日 と比較して今の時代で変わった事は情報伝達速度、手段が個対応で増えた事。内容の正確さは各々判断が必要だが圧倒的に取捨選択の余地が増えた。これもインフラありきでの事だが南海の孤島でもリアルタイムで世界の報道と米ダウ平均株価が知れる。1995年朝は偏ったテレビ報道を見て暴動被害を恐れ無人新御堂筋を車で南下して梅田の社屋へ向かった。2011年は奈良の大学構内にてBBC liveで東北の海岸線を津波に向かって避難する車列空撮を観て今もトラウマだ。

通信以外で進歩した点は有るのか、人智が試されている。人治、人知では無い人智だ。

 


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実家から受け取ったマスク

朝うどん 昼パスタ 小麦粉麺day お茶はコーヒーとシークワサー烏龍茶

片付け、靴洗い、映画とオリックス阪神戦観戦デー

映画は 復活の日 にしようか。

 

報道 相撲:ラジオとAbemaTV 

映画:Amazon 

野球:楽天パリーグtv