今日、会社を辞めました。(個人忘備録日記です)

不摂生からの疾病 リハビリで価値観が転換 退職しました。

街を歩いてみる 雑感

久しぶりの故郷、小中の多感な6年間を過ごしたに過ぎない街。其れでも故郷のポジションを占める街。

朝の気温は10度を少し下回る。身近にあった風も殆ど感じる事は無く、表に出ると内環状線を疾走する車の疾走音が響く。 走ってもすぐに信号だ。 赤信号で待って周りを見渡すと少しビッコ気味に緩やかに進むお爺さん、ゆっくり2丁目のアパートの階段に差し掛かり、片側唯一の手摺りを両手で掴んで登山の様に登って行く。 都会での年金暮らしと勝手に思いが馳せる。 借家住まいかオーナーか、独居か沢山の子孫か計り知れない。

中古車屋の前で並ぶミニバンと軽自動車を眺める。 島では動きがスムーズ(エンジン、ショック、サスペンション、ドア)でバッテリーが持ち、防錆が重要、スタイルや色は二の次。価値観が根底から異なる。 この昔のスカイオートはチェーンを渡って8710に落ち着いている。過去に525i24とお別れした場所でもある。

家へ帰り、コーヒーを入れる。 フィルター受けが見当たらず、キッチンをひっくり返して探し出した。コーヒー豆は西日の当る窓際に有り、酸化100% 冷蔵庫から出した覚えは無い。

案の定の味と香りに、近くまで新しい豆を求めに出る。 向かいの家に島のお土産を渡し、不在中の不義理を詫びて挨拶し、ついで買いとは怖い物で、豆を挽いた物と牛乳、ロールパンを手に帰宅。半年ぶりのナナコチャージに少しドキドキ。

家でAmazonミュージックをGoogle Chrome castでテレビに飛ばし、テレビに繋いだオーディオで楽しむ。流すプレイリストは島で聴いて作った物。 フルレンジのアンプ音響で大きなスピーカーで同じ曲を楽しみ、少し不思議な感覚に陥入る。

体感は寒い。コタツを入れてコーヒーを楽しむ。

流れる曲はwhatever / Oasis。偶々だ。

今日は暮れの日曜、散髪は後日にして岬の様子でも見に行くか、寒さと疲れで動く気が起きない。

曲はダイアーストレイツの悲しきサルタンに移り、ギターの練習に気が移るが、移動疲れかやる気が起き無い。 曲はYou might think/Carsに この曲は大阪南の小箱でバイトしていた頃の曲。ギターリフに懐かしさが溢れる。 感傷深くなっている。寒い家で居るからか。

Love in action / Todd randgren  北陸の高校時代に元春レイディオ・ショーで流れていた曲だ。 大した思い出は無いが些細な情景、シーンだけが思い浮かぶ。死ぬのか? 人の思い出って何だろう、会話の中身や行動の中身目的はボンヤリとしか覚えていないが、瞬間瞬間のシーンだけが浮かぶ。嫌な事や不快な事を削ぎ落としているのか。

好きなアーティストのアルバムを買って聴いている時間軸での変遷と少し似ている。 ベストだと思って聴いている曲が日時、時間の経過と共に変遷して行く。瞬間瞬間の感性か流行りか成長か衰えか。

故郷に帰り、家の風を入れ替え、感性がおかしい。


今現在の些細な日常、日々を大切にしないと。

 

岬へ
阪急千里線から連絡の地下鉄堺筋線を南下、乗降する旅客がどんどん入れ替わる。 大阪メトロは短距離移動が多いのか。時刻は13時過ぎ、年末迫った時節とはいえ流石にい地下鉄移動は天候、時刻が読めない。季節感、時刻感性が無くなる。 好きな地下鉄だが今迄この様に考えた事が無い。 私自身価値観が変わって来ているのか。 

意外に感じたのは日本橋駅での乗降客の多さ。 電器街以外に何か出来てきているのか、乗換か?。

昔、松屋町や難波から電気街には何度か訪れた。エネルギー溢れる街に見えたり寂れた廃墟街に思えたり、時代、季節によって様々。変わって行くが過去のオーディオ専門店が小さく店仕舞いしていたりパーツ問屋街が廃れていて量販大手に変わっていたり廃れて行ったイメージが強い。 秋葉原化で変わったのか?

街並みはいずれ変わって行くとして、立地は絶対的な距離が都心に近く上町台地の一角で有れば大阪平野を見渡せ、裾野であれば見下ろされる場所。 街並み土地柄は、時代と共に変わって行く価値観に左右され今後も変遷して行くだろう。 


吹田から岬へ。 様子を見てシュラフを持って戻る。岬は古いビルらしい香りがしており、流せる消毒類を排水口に流し込み、風呂場は換気口からの埃が逆流しており、バスタブを洗い流す。 トイレの手洗い部分の錆が酷い。この部品だけ変えられるか、家の裏は雑木林のままで、直ぐ前のカーシェアが出払っており、使う前には予約必須と刻む。人気の無い建物で今日は管理人も居ない。 臭気が籠って居ると長居する気が失せる。

往復で2千円少し、私鉄、メトロ、私鉄の乗り継ぎで天下茶屋接続だと乗り継ぎも容易だ。難波だと人波に晒される。

南海は結構混んでおり、始発近い復路も立っていた。行楽、買い物帰りの家族連れ、老人が多く情景の想像が難しい。様々なのだろう。

吹田では薬局へ寄り島では無い物を仕入れる。

ドラッグストアモリ、ファミマが島に出来てから結構な品が入手可能となり、ネハ家具屋も100均に近い品を多く揃えてくれている。

島にいると「これが無いなー」「不便だな」とよく思うが、人酔いなのか都会では買い物に手が伸び進まない。 それ程では無いのか。

気温は夕暮れと共に冷えて来、10度を下回る、冷え込みが心身染みて来た。 夕食は久々のピザ、

生地を練る元気が出ず、買ってきたピザに玉葱、シメジ、サラミ、チーズを足し乗せて焼く。

普通に懐かしい。 

隣家の同級生にも土産を渡し、不在中を頼み、近くの2軒を潰して4軒建ったミニ戸建てを見る。売れ残っていた家も無事売り切った様で4軒在住の気配、庭にアウトドアチェアが出ているのが今っぽい。

ペットでも飼うのかな。 旗竿2軒だが裏は堤防で視界が開けて快適そうだ。大雨だけ少し心配だがここ45年氾濫は気配も無いが川面が2階の高さになるのは恐怖だと思う。

その先にあった同級生の実家も売り出されていたが建て替えかリフォームして新たな住人が居るようだ。街が成長して行く。

我が家の裏は旧家を取り壊し更地になったまま、西側が月極駐車場から出入り出来る状態。何故壁を潰したのか? 裏の防犯に気を付け無いと。 奥まった視界の通らない場所に誰でも入って来れる状況だ。我が家と裏の地所との境界の塀の潜り戸跡はブロック塀で埋められていたが高さ120程。 明るく静かなのはいいが間口を整えてミニ戸建が出来ると、と思うと。憂鬱になる。間口が整わないとアパート類の建築か。 

新たに建つ物としてはミニ戸建は悪い選択肢では無いのか? 住人次第。

名前も知らない転入人で休日の早朝からリフォーム工事を入れる輩もいる。一言断りがあっていいと思うのは古いのか。