早いもので勤務2カ月経った。 日々慣れない事に右往左往だったが1日、1週間が早く感じるのは久しぶり。
多忙な頃、複数の案件が重複し主催イベント、プレゼンなどが重なって以来、懐かしい感覚。
だが根本は大きな違いがある。 今の日々は毎日終業と共に切り取られ、言葉通り終業。繰越す案件、懸念等は無い。
毎日リセットの単純な用務。但し初見の事柄が多いので日々発見と勉強の機会はある。
沖縄は明日が慰霊の日、終戦を祝い弔う日だ。久米島では悲しい記憶と遺恨を含め複雑な想いを馳せる日でもある。courier Japan引用の日系米国人の記録記事も明解な文章で興味深い。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190622-00000005-courrier-soci
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-941125.html
内地での学校教育では、このような記憶に敢えて触れていないので初見の記事も多い、戦時の狂気はこうも恐ろしいのか、改めて考え直す。
責任を取るって意味を考えさせられる。
敗戦の指揮官は生きるのも恥ずかしく自害を選んだ。それまでの部下に対しての指示を鑑みると理解出来なくは無い気がしたが。その後の指揮官亡き部隊の惨劇を伺うとその責任は取れていない事となる。散って終わりでは無い。
ある意味真面目に取り組んだ人間程狂気を生む。 泥を飲んで詫びて生き、取らねばならない責任もある。 総じて戦争とは正に狂気と言える。 知恵と度量を駆使して相手を滅ぼす綺麗事では終われない。それらのコントロールが出来ない間は戦争を行う権利は無い。
久米島にいて今、思う。
マグロアラの大根煮