最期の十三行。 江坂の月曜朝の慌しい出勤の波を避け、1ブロック南に逸れた通りを西へ、駅西から南下。 久米島では自転車 徒歩 天候に寄ってはバスでの通勤となるだろう。 基本は徒歩で
2キロ弱、20分弱。
朝は早く0830から始業、夕刻は早く16時迄。 基本残業無し。
得意な朝型で給与は微々たる物でも社会保険、厚生年金加入が選択の一つの切掛でもある。 最も、昨年退職に至ったのは 、自らの健康不安、不調が大きく。「死ぬかもな、、」と思う中で、何の為に生きているんだろう。との哲学的観点からの判断だ。
生活を一変させよう。
その為には価値観も転換。
これまでは好きな仕事に就き、いい事や悔しい事も多々あり、その中で都度達成感を糧に生きていた。 収入は至って人並みで、少し貯金も出来て週末を過ごす別荘もいいな、と思う50代、そんな折の脳梗塞だった。
発端は不摂生、酒も飲み、タバコも吸い、お昼は仕事先で外食やコンビニ弁当。食べる物には気遣って来たが、夕食は殆ど24時を跨ぐ頃。週末は疲れて終日憩む事も。 趣味らしい趣味は特に無く、調べ物や訪れる土地も何かしら仕事に繋がる所だ。
学生時代は遊びとスポーツに明け暮れたが趣味に繋がる事は無かった。
ワークホリックという言葉は知っているが、己が当てはまるとは思っていず、世の中のオヤジは殆ど同じだと思う。
病と言っても長く病床に伏せった訳で無く、メニエルの影響時に3日ほど立てなかった位で、後は右半身の違和感と呂律が悪い事だ。
右手は細かな動作、字を書いたりは苦手になり指先は少し考えて力の入れ方を考えてから動く。 箸を取り落すのは日常だ。
但しこの呂律と言うものは厄介だ。
病になって一番堪えるのは、健康な時は気にも止めない自然な事がスムーズに出来ない。表現出来ない。 相手に伝わらない。 特に自分の仕事は電話や対面してお客様に提案する仕事。当然、説得や反証、誘導もある。己の提案の捕捉や対抗する案を否定、どうしても多弁となる。
その中で発言、言葉が不自由だと押し寄せる物がある。 自己嫌悪だ。 これが強敵だ。
何かを思って発言しようとした瞬間、発声方法が分からない。特別なことでは無い、反射で成し得てきた事だ。
結果、お得意様に顔を覗き込まれ、「酔っていないか」確かめられたり、説得力が無くなったと感じた時、無力感が押し寄せる。
努力して改善、適応して行けばいい。その時2度目のメニエルで方向感覚も怪しくなった。 次にどの機能が失われるのかわからない。 運転中かも知れない。
そして私は仕事を辞し、車を手放し生き方を考え直す事にした。 それがこの日記の始まりだ。